恋の奈落の滑り台

わたしを引き込む魔法のスロープ

わたしのヲタ気質は10年以上前にRAG FAIRというグループに形成されていたという話をします。

土屋礼央さん!!!さんま御殿出演おめでとう~~~~~~!!!!!!

このブログを始めて2週間にして早くもジャニーズ以外の話かよという視線を一身に受けながらも全力で祝わせていただきます!!!おめでとう~~~~!!!!!!!!!

さて、ジャニーズ以外の記事といっておきながらも、この土屋礼央という人間は“ちぇる”という一人のジャニヲタができあがるにあたり切り離せない存在である。今回はその話をしたいと思います。

 

ところでこれを読んでいる方々はそもそも土屋礼央というアーティストの存在をご存知なのだろうか…今の10代の子とか…もしかして知らない…????まじか……知らない方のために一応説明しておくと、かつて世の中にブームを巻き起こした『ハモネプ』ネプチューン司会の「力の限りゴーゴゴー!」の中の人気コーナー)に当時アマチュアでありながらスペシャルゲストとして出演し、そこから人気に火がつきメジャーデビュー。2枚同時リリースした2ndシングル「恋のマイレージ」「Sheサイドストーリー」はオリコンランキング1、2位独占という記録を成し遂げさらにその年には紅白出場まで果たしたRAG FAIRというアカペラグループのいわゆる“センター”をつとめる現在38歳のミュージシャンである。(ここまで息継ぎなし)ていうか礼央さん38歳かよ…自分で書いてて震えた…立派なアラフォーだ… タモリ倶楽部の鉄道企画に出演したいがあまりに個人的に番組にハガキを送りつけたり、ケンタッキーフライドチキンのすべての部位を買い揃えて鳥のカタチに戻したり、ベビースターラーメンには何mの麺が入っているのか気になり徹夜で並べ続けたり、彼という人間の面白さ(変態さ)について語りだしたら止まらないので今回は割愛させていただくが、興味を持った方はぜひチェックしてみてほしい。

なんだ礼央化―ダ・ヴィンチ版 (ダ・ヴィンチブックス)

なんだ礼央化―ダ・ヴィンチ版 (ダ・ヴィンチブックス)

 

 シリーズで結構何冊も出版してる。

全盛期はサングラスと首元のファーがトレードマークだったので「真ん中のファーつけた人だよ!」といえば大体通じた。ちなみに5枚目のシングルあたりからファーをつけるのをやめているのだが、その理由について、当時ゲスト出演した「堂本兄弟」にて本人たちにこう伝えている。

 

光一「なんでファーやめたんですか?」
礼央「それなんですけど…なんか光一さん…」
光一「あ!俺や!!!」
礼央「キンキさんのコンサートで、光一さんがファーをつけて出てきたみたいで…それを見た剛さんが『なんかお前RAG FAIRみたいやな!』と…」
光一「あったわ~!!!」
礼央「その話を聞いて僕はそっと…(ファーを外すしぐさ)俺の時代は終わった、と…」

 

この話は冗談半分ではあるが、キンキとファー問題がこうやって繋がっていることがうれしいし何より「RAG FAIRみたいやな」で観客全員に伝わるというあの時代が!!!!!懐かしい!!!!!!!うれしい!!!!輝かしい!!!!!!

ここまでの熱量でお気づきの通り、わたしはRAG FAIRというグループにかなりの思い入れがある。いちばん最初の記事にもちらっと書いてはいるが、人生で初めて好きになったアーティストがこのRAG FAIRなのだ。初めてFCに入ったのも、初めてコンサートに行ったのも彼らである。遡ること12年前。中学1年生だったわたしは4つ上の姉、そして姉の友達と3人で田舎から札幌に出向いた。席は後ろから2番目だったのだが、ホールが狭かったのもあり彼らがとても近く感じた。「うわあ…このひとたちって本当にこの世に存在するんだ…」と全身が震え上がったことは今でも忘れられない。ハモネプで彼らを知り、“サングラスとファーをつけた真ん中の人”に転げ落ちたわたしは(のちのちその隣にいるメガネのお兄さん(引地洋輔)に推し変するのだが)、彼らが出演している番組はすべてビデオに録画し、表紙だった雑誌はすべて購入していた。(中学生だったのにどこからそのお金が湧き出ていたのかは不思議)当時の情報源は公式HP、もしくは熱心なファンの方が配信しているメルマガ。ファンサイトも溢れるように存在していた。お気に入りのサイトを見つけてはブックマークをし、サイト内のBBSやチャットで同志との交流を楽しんだ。ちなみにRAG FAIRを通じて繋がった人のことは「RAG友」と呼ばれていた。携帯電話も持っていなかったわたしはパソコンのメールや文通で“RAG友”とやりとりしていた。当時はもちろんツイッターなんてなかったし、ブログもやっていなかったわたしの「RAG FAIR最高かっこいい大好き!!!!!!!!!」を吐き出せる場所はRAG友とのメールやお手紙の中にあった。全国各地にRAG友を作っては手紙のやりとりをしていたので、母親から「また手紙届いてるよ。今度は福岡?あんた47都道府県全部に友達いるんじゃないの?」とよく言われていた。懐かしい。ファンサイトの管理人さんに住所を送ると可愛いメンバーのイラスト入りの年賀状が届いたりもした。夢小説というものを知ったのもこの頃だ。ピュアだったので鍵付きのほうは読んでいないです。

 

…と、方法は違えど、やっていることはジャニヲタとほぼ同じであることがわかる。どのファンもやることは一緒なのである。ジャニーズを毛嫌いしていたあの時期の自分に言いたい。「てめーもおんなじことしてんじゃねーか」と(お口が悪い)。そう、わたしのヲタ気質は完全にこの時代に形成された。出演番組をすべて録画し、何度も何度も見る。可愛いと思った仕草は何度も巻き戻して見る。1回目は全体的に見る。2回目は好きなメンバーだけに注目して見る。3回目~5回目は他のメンバーに注目して見る。そして最後にもう1回全体を見る。やってることおんっっっっなじ。さらに彼らはアカペラグループであるので、歌にも全コーラスひとりひとりのパートが存在する。自分の好きなメンバーの声を探すために何度も何度もリピートしなければいけない(もはや義務)。そんな生活を中学生~高校生まで続けていたわたし。はい、立派なヲタクいっちょあがり、なのである。かつて一世を風靡した(とわたしは思っている)彼らであったが、ブームというのは残酷なもので、時間が過ぎるとともに人気も低迷。CDのリリースやライブイベント、メディア露出もだんだんと少なくなってしまった。ある現場といえば関東在住のファンやある程度お金の持った大人しか参加できないようなファンクラブイベントばかりで、地方住みの学生としてはどう頑張っても行けたものではなく、いつも泣く泣く見送っていた。高校を卒業し、専門学校に入学したわたしは、他の音楽にも興味を持つようになり、ついにFCの更新をやめた。それでもやはり“人生で初めて好きになったアーティスト”に対しての思いは捨てきれず、今でもグループやメンバーの動向はツイッター、ブログなどでチェックしている。ハイトーンボーカルの加藤さんが結婚したときは思わずひとりで叫んだし、絶対に結婚しないと思っていた礼央さん、そして本当に本当に大好きだった洋輔さんの結婚発表のときは受け入れるのに時間がかかった。今でもまだ信じてない節はある。事実なのに。洋輔さんと結婚するのは自分なんだとどこかで思っていた(痛ファン)くうぅ…泣 そしてなんといってもベース担当の加納さんが脱退したときは涙を流した。いまだに5人で並んでいるアーティスト写真を見ると胸が痛かったりする。

 

話は逸れたが、とにかくわたしがジャニーズにハマり、ほぼ抵抗なくあっさりとジャニヲタになれたのはこの時代があってこそだと思っている。むしろヲタとしてのちぇる、だけではなく、わたしの人生そのものを変えたのは間違いなく彼らであろう。大げさなようだが本当にそうなのだ。だってわたし彼らと仕事したくてナ○プロに2回エントリーシート送ったし…(小声)あっもちろんスタッフとしてです。書類は通ったけど筆記で落ちました。結局その会社は諦め、今のお仕事にたどり着いたわけです…

 

そんなわたしという人間の基盤を作りあげたRAG FAIR。そのグループのメンバーである土屋礼央さんが出演する「踊る!さんま御殿」は来週2月3日(火)放送です!!!!!お見逃しなく!!!!!(突然のステマ)